全米で広がるBLM抗議活動に寄付すると間接的に民主党のバイデン大統領候補に寄付される|カリフォルニア大学バークレー校の歴史学部教授が匿名で大学と民主党を非難する公開書簡を発表
世界的にも名門大学であるカリフォルニア大学バークレー校、その歴史学部の教授が、学内の同僚の教授宛に匿名で公開書簡を発表した。その中で、現在、全米に広がる『BLM(Black Lives Matter = 黒人の命は大切)』と呼ばれる抗議活動についてその矛盾について疑問を呈し、大学の対応が左派・民主党のバイアスに偏向していると告発している。
この公開書簡は本物であることを、ケンタッキー州立大学・政治学部のウィルフレッド・ライリー助教授と、スタンフォード大学のエコノミストであるトーマス・ソーウェル氏が確認している。両氏は、この公開書簡を本人から直接受け取ったと語っている。
I can confirm that the letter in the thread below was sent to me and Tom Sowell. It's really worth reading, in a time of widespread panic. https://t.co/bknCdO39c3
— Wilfred Reilly (@wil_da_beast630) June 12, 2020
【訳】以下にスレッドとして掲載する書簡は、私とトム・ソーウェルにも送付されたことを私は証言できる。パニックが広がる今、これは本当に読む価値がある。
この書簡を以下に翻訳して紹介する。(太字強調は訳者。)
* * *
UCバークレー校歴史学部教授による公開書簡:BLM抗議活動、警察による暴力、そして文化的正統主義に反対する
親愛なるX教授、Y教授、Z教授へ
私は、カリフォルニア大学バークレー校であなた方の同僚の一人である。私はあなた方と個人的に会ったことはあるが、それほど親しい間柄ではない。あなた方に匿名で連絡を取ることをお許しいただきたい。このメールを執筆することで、私は自分の仕事、そして私の専門分野における将来の仕事も全て失うことになることを懸念している。
あなた方が学部内に向けて送信したグループ・メールの中で、あなた方は私たち(歴史学部の関係者)が多様性にコミットすると約束した。しかし、最近の抗議活動に関する話題やそれに対する我々大学コミュニティーの対応に関して、多様な意見が欠落していることを、私はますます危惧している。
あなた方が(メールの中で)提供した膨大なリンク先や情報源の中に、黒人がなぜ学術界で人口に比例して少数であるかや、刑事司法制度において人口に比例して多数であるかを説明した、充実した反論や異なる意見を見出すことができない。あなた方が提示した文書の中で書かれている説明は、他のほぼ全ての意見を排除したものであり、統計的に分布が一変量のものである。それはつまり、黒人コミュニティーの問題は、白人たちがその原因であり、または白人たちが物理的に存在していない場合には、白人至上主義と白人による制度的なレイシズムがアメリカ人の頭脳、精神、そして制度に浸透していることによって特徴付けられるというものである。
この主張に対する多くの説得力ある異論の声が、複数の冷静な人たちによってあげられている。こうした冷静な声は、トマス・ソーウェルやウィルフレッド・ライリーのような黒人コミュニティーの内側からもあがっている。彼らは、レイシストでもなければ『アンクル・トム(白人に迎合する黒人)』でもない。彼らは知的な学者であり、黒人の人々から「行為主体性」を奪う偏向意見を拒否しており、黒人コミュニティーの問題をアウトサイダーに組織的に外在化することを拒否している。彼らのような意見は、カリフォルニア大学バークレー校全体における公式声明や、当学部による公式声明から完全に欠落している。
黒人コミュニティーが直面している窮状は、白人による組織的なレイシズムや、白人至上主義、そして他の白人による差別という形をとった、完全に外的な要因によって説明されるという主張は、問題のある仮説であり、歴史学者によって積極的に挑戦されるべきである。しかしこれは、その深刻な欠陥や、黒人が全く無能であるという憂慮すべきその含意について真剣に検討されることなく、あたかも自明で、告訴できる真実かのように扱われている。
これと反対の考え方・意見は存在する。もし時間が許すなら、このメールの末尾に添付する文書のいくつかを考慮してほしい。圧倒的に、BLM(黒人の命は大切)の抗議活動とその賛同者たちが提示している根拠は、主に裏付けに乏しい逸話か、または彼らの抗議活動は見えすいた動機に基づいている。見えすいた動機の一例として、刑務所に収監されたアメリカ人の間における黒人比率を考えるべきだ。この比率は、頻繁にアメリカの刑事司法制度が黒人に差別的であるものとして主張するために利用されている。しかし、我々が全く同じ手法を用いる場合、刑事司法制度は黒人に差別的であるというよりも、むしろ男性に差別的であるという結論を導き出さなければいけなくなる。
刑事司法制度は、無実のアメリカ人男性たちに対してシステム的に男性差別的であるというような陰謀があると我々は言うだろうか?この種の論法には欠陥があり、我々は自分たちの推理力を一時停止しなければこのような欠陥のある論法には至らない。そのことをあなた方が理解していることを私は望む。黒人たちは、その犯罪率以上には収監されていない。この事実は、複数の国で、複数の司法権の管轄にわたって、何度も実証されていることである。
しかしいまだに、私が所属するこの学部は、無批判に黒人たちの「行為主体性」をおとしめる偏向意見を再生産しており、「白人男性の責任」を自ら(自虐的に)背負い、白人の罪という偏った意見を広めたいという明らかな願望を抱いているこの学部にとって、望ましく映る白人中心の説明の方を好んで受け入れていることを私は目撃している。
刑事司法制度が白人至上主義的であると我々が主張するのならば、なぜアジア系アメリカ人、インド系アメリカ人、ナイジェリア系アメリカ人は、白人アメリカ人に比べて圧倒的に刑務所への収監率が低いのか?これは奇妙な白人至上主義だ。ユダヤ系アメリカ人ですら、非ユダヤ系白人たちよりも収監率が低い。平均的な白人至上主義者はユダヤ人に迎合しないと言っても過言ではないだろう。しかしそれでもなお、こうしたいわゆる白人至上主義者の人たちは、ユダヤ人よりも圧倒的に高い比率で非ユダヤ系白人たちを収監している。こうしたことは一切、あなた方が提示する文献には言及されていない。これらは一切、説明されておらず、議論をはしょるためのごまかし以上のものであり、理性より感情に訴えるものである。「これらはレイシストによる、一般大衆に気付かれないように賛同を得たい特定の集団にしか理解できないレトリックだ」、「マイノリティーに関する通念モデルは白人至上主義的だ」、「ファシストだけが黒人が黒人に対する犯罪について議論する」、うんざりだ。
こうした種類の発言は、結局、反論にはならない。これらは単純に恣意的な攻撃的種類のものであり、対話を黙らせ抑圧することを意図している。プロの歴史学者であれば誰でも、これら発言が(反対意見を)黙らせる正統主義による戦術であり、時間や地理的な制約に関係なく、抑圧的な政権やドクトリンや宗教に共通のものであることに気が付くだろう。これら発言は、本物の多様性を破壊することを意図しており、我々の学部から断固とした批判精神の文化を永遠に追放するものである。
ますます、我々はBLM(黒人の命は大切)の抗議活動による問題ある歴史観に同調し、同意するよう要請されている。そして我々の歴史学部は、この問題について一つに統一されたものとして提示されている。特に、民族的マイノリティー(の学部関係者たち)は、強引に単一の立場に集結させられている。明らかな統一が行われているのは、意見を異にするとほぼ確実に不安定な(教員という)役職にある我々にとって学校追放や(雇用契約の)取り消しという結果が待ち受けているという事実のせいである。こう考えている教員は少数ではない。
私は、BLM(黒人の命は大切)という抗議活動の偏向意見に個人的に反論するつもりなど毛頭ない。学部の運営陣や、終身在職権がある教授陣、カリフォルニア大学の運営陣、アメリカのビジネス界、そしてメディアによって大量生産されたいわゆる(BLMへの)連帯という「一斉発射」が行われている中、それに反対意見を唱える者たちへの罰は、経済的な脆弱性が蔓延している現在、明らかに危険なものである。もしこのメールに私が自分の名前を付記したならば、私は今の職、そして未来の職も全て失うだろうと確実に言える。私がここでしたためる一言一句、それは私が確信する意見であり正当化できるものであるにもかかわらず。
黒人コミュニティーで発生する大多数の暴力は黒人が犯人である。これら犯罪の目に見えない犠牲者たちのためには、抗議の行進や、公共の場での黙祷、カリフォルニア大学理事会や学部長からの心温まる声明は実質的に一切行われていない。彼らのメッセージは明瞭だ:黒人の命は白人が奪った時にだけ重要だ。黒人による暴力はあって当然と考えられ、解決不可能である。その一方で、白人による暴力が発生した場合には説明が必要となり、解決策を要求する。自分の心の中をよくのぞいて、この論述がいかに異様に偏狭であるかを真に見つめてほしい。
黒人からの暴力を受けた非黒人の犠牲者について議論をすることは許されない。こうした犠牲者は、人口比からみても、非黒人から暴力を受けた黒人犠牲者よりも相対的に多い。これは、特にべイエリア(サンフランシスコ近辺)で悲惨な状況となっている。この地域では、黒人の加害者たちによって犠牲となるアジア人が多発している。サンフランシスコ警察署長は、アジア人に対して家のドアの外に開運のお守りをつるすのをやめるようにまで勧告している。このアジア人に特有のお守りが、(圧倒的に黒人が多い)住居侵入者たちの目を引くためである——ジョージ・フロイドのような住居侵入者の。このアメリカで実際に発生し、犠牲者が発生している物理的な暴力という現実に対して、抗議の行進もなければ、学部長から涙を誘うようなメールも、そしてマクドナルドやウォルマートからの支援も一切ない。この歴史学部において、我々が沈黙していることは、真実に光を当てるという我々の責任を単に破棄しているだけではない——これは真実の拒否である。
黒人同士の間で起きる暴力は、レッドライニング、奴隷制、その他の不公平な状況の産物であるという主張は、主に歴史的視点からの主張である。故に、なぜ(戦時中の)日系人の強制収用や、ヨーロッパでのユダヤ人の大量虐殺が、同様の「逆機能(社会全体の存在を脅かすような存在)」の発生を生んでおらず、また日系アメリカ人やユダヤ系アメリカ人が(黒人のように)低い社会経済的地位にないのかを説明するのは歴史学者の役割である。アラブ系アメリカ人は、9・11以降、徹底的に悪魔視されており、最近では中華系アメリカ人がさらに悪魔視されている。しかし、両グループともに、社会経済的地位に関してほぼ全ての指標において、白人アメリカ人を凌駕している——偶然にも黒い肌の色をしているナイジェリア系アメリカ人も同様である。このように逸脱した例外について指摘し議論するのは歴史学者の役割である。しかし、我々の学部内において、現在の情勢では本物の議論を行うことは不可能である。我々に一方的な説明が行われ、それに反対の意見を持つことはレイシストとなる。歴史学者としての仕事とは、その説明がさらに正しいことを確認するために、追加の複数の方法を模索することである。
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