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【コラム】新秩序の到来——大企業のトップは、いったんその座につくと政府とビジネスの力を統合する『協調組合主義(コーポラティズム)』を推進し始める

【コラム】新秩序の到来

「ゲーム・オーバー」(Image via Doug Casey’s International Man)

ジェフ・トマス筆|Doug Casey’s International Man掲載

(太字強調はBonaFidr)

 

一握りの人間たちは、何年間にもわたって、産業、金融、そして政府をコントロールする者たちは基本的に同じ人たちであるということを前提としてきた——彼らは、さらなる富と権力を得るために、自由市場が存在することを制度的により難しくしながら、何世代にもわたって彼らの人間関係のつながりを強化してきたような、ある種の秘密結社である。

 

しかしなぜそのようなことが行われるべきなのか?企業のリーダーたちは、誰にも増して熱心な資本主義者でないのか?

 

確かに表面上はそれが道理にかなっているように見えるかもしれない。しかし、重要な権力の座にいったんついてしまえば、それを達成した人たちは、自分たちがすでにトップの座に到達してしまっているために、最重要な懸念事項が変わってしまうことに気が付く。それ以降、彼らにとっての最重要な懸念というのは、彼らと同じくらいの高みに、確実に他の誰も登ることができないようにすることとなる

 

この時点で、彼らは、自分たちにとっての最優先課題が協調組合主義(コーポラティズム)を推進することであることに気が付く。協調組合主義(コーポラティズム)とは、政府とビジネスの力を統合することである

 

これは自然な「結婚」である。政界とは、寄生生物のようなものである。政界は、絶え間ない資金の流れに依存している。大規模ビジネスの世界は、独占の研究である——模倣者たちが王座に上り詰めることを不可能にする能力を研究することである。そして、大規模ビジネスはキャッシュ(現金)を提供し、政府はトップに君臨する企業に有利な保護政策を提供する。

 

ほとんどのケースにおいて、この方程式の後者は、ただ1つの企業に独占的地位を提供することを意味しておらず、秘密結社——一部企業のエリート集団——に独占的地位を与えることを意味している。

 

この協調組合主義(コーポラティズム)は、米国に深く根付いており、これは100年以上前にまで遡る。今日まで、石油、鉄鋼、銀行、自動車、その他産業の支配権を100年前に握ったこれらエリート一族たちは、すぐさま高等教育機関(大学)を奪取し、健康医療(大手製薬会社)や「国防」(軍産複合体)を作り上げた。

 

これらの利害関係が全て、その支配と利益の両方が何世代にもわたって確実に引き継がれるように、法整備を通して米国は作り替えられた。

 

当然、「利益」は邪悪な単語とみなされるべきではないが、しかし縁故資本主義(仲間うちでの排他的な資本流通)の下では、これは自由市場の歪み、そしてレッセ・フェール(自由競争主義)経済の死として、嫌悪の対象となる。

 

もちろん、このような種類の集産主義は、カール・マルクスが労働者たちの楽園について白昼夢を抱いていたときに心に思い描いたものではない。彼が思い描いていたのは、ビジネス指導者たちがすべてのリスクを背負い、事業を創業し成長させる責任を負う一方で、労働者たちは売り上げを労働者たち自らに分配する方法について最終決定権があるというものであった。

 

もし事業の創業者が全てのリスクと責任を負う一方で、売り上げに関する決定権を放棄しなければいけないとなった場合、人はそもそもビジネスを創業などしない、ということを理解するほどマルクスは十分客観的になれなかった。靴磨きの少年ですら、このような考えは拒否し、仕事ではなく怠惰に過ごす方を選ぶだろう。

 

マルクスは、成功していない人たちを成長させるのではなく、成功した人たちを引きずり下ろすためにさらなる追求を行った。そして彼は意図せずして新たな考え——企業集産主義——を生み出した。この企業集産主義において、彼がまさに劣化させようとしたのと同じ人々は、平均的な労働者たちの自由と富の両方を減らすために、集産主義のレトリックの魅力を利用した。

 

表面的には、これは売り込む——一般大衆を網の中に追い込む——のが難しいことであるように見えるかもしれない。しかし現実には、これは非常に容易いことであり、絶えず効果的であり続けていることなのである。

 

ヒトラーの新秩序は、このような構造——ますます厳格な法律、戦争、そして政府と産業との間の経済的な回転ドア(天下り・政府との人材交換)を通して、ドイツを偉大だった頃に戻し、ドイツ国民を繁栄へと戻す約束——だった

 

当然、大規模な資本——数十億ドル——の注入が必要だった。そしてこれは米国の産業界と銀行が熱心に提供した。ニューヨークの銀行のトップたちが、ナチスの産業に出資しただけでなく、フォード、ロックフェラー、モルガンなどといった一族たちがドイツ企業の取締役に就任した。

 

ナチスによる努力は、死ぬまで戦うというロシア人たちの意志の強さをみくびったことにより失敗した。(全ドイツ軍による死者の80%は、ロシアによる作戦が原因。)

 

しかしニューヨークにいた者たちは、戦後、自分たちを取り戻し、ドイツの産業を再建する列の先頭に立ち、最終的に多額の利益を手にすることができた。

 

だが最も重要なのは、企業集産主義という考えが死滅しなかったということだ。戦争の前ですら、同じ一族や企業たちはフランクリン・ルーズベルトの「ニューディール政策」の計画を起草していた。

 

ルーズベルトは、根っからのウォール街人間であり、ニューヨークの銀行界隈の指導者であった。1930年代と1940年代初頭において、彼は大統領として大企業に有利な回転ドア(天下り・政府との人材交換)を生み出した。その一方で、平均的なアメリカ国民は、政府からの給付金制度を通して、意識的に必要最低限の生活レベルに据え置かれた。

 

この悪徳商法はうまくいった。目先のことしか見えないアメリカ国民たちは、大喜びしただけでなく、このことでルーズベルトを神聖視すらした

 

同様に、ジョン・ケネディーの「ニューフロンティア」は、この概念を復興させようとした。リンドン・ジョンソンの「偉大な社会政策」——小さな人たちに、彼らを小さいままとどめるための政府からの給付金制度を提供する——も同様である。中小企業に課税をし、税収をエリート産業へ流入させ、そして今度はそれらエリート産業が政治指導者層たちに金銭的な利潤を提供する。

 

グリーン・ニューディールは、単にこの系譜に連なる最新の企業集産主義にしかすぎない。

 

企業集産主義は、金融界や産業界で合法的な独占企業を所有する少数者たちが、残る全ての人たちをダントツで支配する能力を獲得する制度であると定義づけることができる。そして彼らはそうすることで、システマチックに富を人々から搾り取る。

 

今日、この制度は非常に洗練されているため、平均的なアメリカ人はフラット画面テレビや高価なスマートフォンを所有しているが、人生の緊急時に400ドルを捻出することができない。このような平均的アメリカ人は、実際上、常に破産した状態であるが、ゾンビのような存在で始終依存しながらいまだに動いている。

 

こうしたことは、表面上はそれほど危険なことではないように見えるかもしれない。しかし、小さな緊急事態において自ら解決する貯蓄を持たない人たちは、容易にコントロールすることができる。超危険ウイルスのような緊急事態を生み出しさえすれば、この事実はすぐさま明らかになる。

 

人々の間で(命令への)順守の精神を最大化するためには、彼らの依存度を最大化すればいい。

 

上述したとおり、こうした活動は何世代にもわたって繰り広げられてきた。しかし、今現在、これは最高潮に到達しつつある。ほとんどの自由主義世界において、これは現在、期待通りの速さにあり、操るための糸を持つ人たちは、企業集産主義へ大きな歩みを進めるための準備が整っている。

 

この先1年で、私たちはめまいのするような速さで劇的な変化が露わになるのを目撃するだろう。資本の制限、移民の制限、国内の移動の制限、増税、資産の没収、そして「不可侵の」権利の排除は全て、現実のものとなるだろう。これらはあまりに早く起きるため、大衆が最新の制限について息を飲む暇もなく、次の新たな制限が山盛りに積まれるだろう。

 

このことが徐々に明らかになるに伴い、私たちは国民国家の崩壊を目撃するだろう。国連や国際通貨基金(IMF)、世界経済フォーラムといったグローバル権力がコントロールするようになるだろう。国に対して正式な支配権など持たない組織が、ますます支配するようになり、そして人々はなぜこのようなことがあり得るのかと不思議がるだろう。選挙で選ばれた政治家たちは、ますます単なる代理人にしか過ぎなくなり、彼らは選挙で選ばれたわけでもない支配者階層たちの指示に従うだけになる。

 

起こりつつあるこうした変化は、人類全体を覆い尽くす毛布と大して違わないものとなるだろう。

 

ここで疑問となるのは、a)こうした勢力に降参するべきか、b)こうした勢力と戦うが十中八九その犠牲となるべきか、はたまた、c)この毛布の領域に入らない手段を探すべきか、ということになるだろう。

 

 

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